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四十 イエズスは山の上で教えられた
イエズスさまは十二使徒をお選びになってから、山をくだられました。その時、山のふもとには、もう、たくさんの群衆が、イエズスさまのみ教えを聞きたい、病気をなおしていただきたいと思って、おしよせていました。イエズスさまはこれらの病人を、みな、おなおしになりました。
やがてイエズスさまは使徒たちを連れて、小高い山の上にのぼり、集まってきた人々にこうお教えになりました。
「心の清い人は幸いである。そういう人は、神を見るようになる。
すべてあなたの敵を愛し、あなたを憎む人を恵み、あなたを迫害する人のために祈りなさい。
あなたがたは人に見られようと思って、人前でよい事をしないように注意しなさい。もしそうしなければ、天にいますあなたがたのおん父から報いをいただくことはできない。
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また盗びとが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ、天に宝をたくわえなさい。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらってはならない。空の鳥を見なさい。まくことも刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それなのにあなたがたの天の父は、かれらを養っていてくださる。あなたがたはかれらよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」
善業
一 善業とはどんなことですか?
善業とは、神さまのお好みになることをすることです。神さまのお好みになることとは、神の十戒と公教会の六つのおきてをよく守ること、自分のつとめをちゃんと果たすこと、苦しい時には神さまのためにがまんすることなど、いろいろあります。
二神さまは善業の報いとして、何をくださいますか?
神さまは善業の報いとして、この世のお恵みと天国の幸福をくださいます。
しかし、人によく見せようと思ったり、あるいは大罪を犯しているままで善業を行っても、神さまの報いはいただけません。
三 絶えず善業するようにしていると、それがよい習慣になります。それを善徳といいます。
四 善業をするのがむずかしいときには、「私はこのことを、神さまに献げます」とお祈りなさい。そうすればお助けがあります。